ACTIVE RANGER

アクティブ・レンジャー日記 [北海道地区]

北海道地方環境事務所のアクティブ・レンジャーが、活動の様子をお伝えします。

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2020年7月28日

2件の記事があります。

2020年07月28日えりも"夏の風物詩"

えりも自然保護官事務所 熊谷 文絵

この季節がやってきました~!えりもの夏はコレ!!

この今にも動き出しそうな黒いもの、みなさんな何だか分かりますか?

この風景を見ると、えりもにも本格的に夏がやってきたな~と実感します。

町のあっちでも!

こっちでも!

町内全域にこのような景色が広がります。

これは、日高昆布(別名:ミツイシコンブ)と呼ばれる昆布が干されているところです。

日高地方の広範囲で採れる日高昆布ですが、なんとその約8割がえりも町で採られたものです。

7月~9月頃は昆布漁の最盛期! 町内の多くの各家庭ごとに行われています。

早朝4時半ごろ日の出と共に出港する昆布採りの様子は美しい、、、

(岩の上にやや白っぽく見えるのはゼニガタアザラシ、ゴロゴロしています)

採った昆布は家族総出で各干し場に広げていきます。私も体験させていただましたが、これが難しい。えりも町内でも地域によって採れる昆布の長さが違っており、私の行く地域では6~7mもあり町内でも長い昆布なのだそうです。これらを1本1本がくっつかないように、極力捻じれないように...隙間なく広げていきます。

※昆布干し場には、専用の砂利が敷かれています。町内へ来られる際は、昆布が干されていても干されていなくても砂利の中へ入ることはお控えください。

高級昆布として知られる「利尻昆布」「羅臼昆布」は主に出汁用ですが、「日高昆布」は柔らかいので出汁を取った後にも昆布巻きや煮昆布として食されます。家庭用には日高昆布が使用されることが多く、みなさんも知らぬ間にえりも産の日高昆布を食べているかもしれませんね!地元では、小さく切った昆布を揚げておやつとしているそうです。皆さんもえりも町で親しまれているおやつを試してみてはいかがでしょうか。

えりもに来てから知ったことですが、昆布は採ってから出荷までの工程が多く、とても手間と時間のかかる仕事です。そして、天気・海況に左右されやすく3~4カ月の漁期中、15日実施出来れば上々とのこと。自然相手の仕事ゆえ事故無く実施するためには仕方ありませんが、当日早朝まで実施の可否が判断されないことなどを考えると根気も必要だなと感じます。ただ、その日昆布採りが実施されなくても、これまでに干し終えた昆布を裁断したり等級別に分けたりとみなさん大忙しです。。

町内あちこち干された昆布で真っ黒になる、多くの町民が昆布漁で忙しく過ごす...これこそ、「えりも"夏の風物詩"」です♪

毎日暑い暑いと感じている方に朗報です。

えりもは道内でも寒暖差が少ない地域で夏は平均20℃程度、風が吹けば半袖では肌寒く感じます。

夏のひと時を避暑そして"風物詩"を感じにえりも町で過ごされてみてはいかがでしょうか。

(場所によっては風が強いので、長袖を1枚持っていると安心ですよ)

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2020年07月28日層雲峡の核心部 Part1

大雪山国立公園 岩城大洋

 こんにちは、大雪山国立公園管理事務所の岩城です。

私には、忘れられない風景が層雲峡にあります。そこは、今では立ち入りが禁止されており、

見ることはできません。私の脳裏には今でも子どもの頃に見たそのダイナミックで壮大な情景が、

近くを通るとよみがえります。

 思い出の中の層雲峡の絶景について、今回は3部構成でお伝えします。

     層雲峡小函地域から銀河流星の滝方面

        旧国道沿いの小函地域

 

層雲峡と言えば、柱状節理が有名です。

節理とは、主に火山性の岩石に見られる現象で、岩石の露出部分に見られる規則性のある割れ目を言い、熱いマグマが冷却固結する過程で形成されます。

節理には主に柱状節理や板状節理、方状節理があり、岩石の種類も玄武岩や安山岩など様々です。

層雲峡地域においては、約3万年前の大雪山の噴火により堆積した熔結凝灰岩が石狩川の浸食により削られ長い歳月をかけ現在の姿となりました。

全国では兵庫県の玄武洞や福井県の東尋坊などが有名ですが、層雲峡の柱状節理は規模が違います。石狩川沿いに約25kmあまりにわたり峡谷が続いているスケールなのです。

その中でも、銀河流星の滝から小函、大函までの間は、層雲峡の核心部と呼ばれ、高さ200m前後の天城岩や天柱岩、岩の形が独特な羽衣岩、切り立った岩壁の神削壁などの絶景が点在しています。

 

 

 

この区間は多くの人がその美しさと迫力を見に来る特別な場所でした。

しかし、1985年には天城岩で小規模な崩落が発生。

その2年後の1987年(昭和62年)69日早朝、記憶に残っている方も多いと思いますが、天城岩が大規模な崩落を起こしました。

(この事故は「層雲峡小函天城岩崩落災害」と呼ばれています)

崩落した岩の総量はなんと11,000㎥に及び真横を流れている石狩川を完全に埋め尽くし、対岸の国道上にも岩盤は到達しました。この崩落により岩盤の直撃を受けた3名が亡くなり、6名が重軽傷を負いました。

 

赤枠は天城岩崩落部分(岩肌の色が赤錆びた部分が崩落箇所)

 

 

この崩落災害を受け、小函地域の景観は観光名所から、危険な箇所だと認識されるようになり、銀河トンネルが接続され、1995年(平成7年)には、小函地域は車両では行けない場所へとなりました。ただし、絶景は、しばらくの間、自転車・歩行者専用道路として解放されていましたが、1998年(平成10年)頃から神削壁で落石が頻発したため、その後は、一切の通行が禁止され現在に至っています。

今年に入り、新型コロナウィルスが全国的に猛威をふるい、層雲峡には観光客がいないという状態が続きました。旅館やホテルでは休業が相次いでいました。

そんな折りに、層雲峡再活性化の議論が始まり、層雲峡の歴史を見つめなおす機会がありました。そのような中、注目されたのが、現在では立入りが制限されている層雲峡景観の核心部「小函地域」だったのです。

 

       層雲峡温泉(後方は黒岳)

 

通行止めとなってから約20年余り。

思い出の中の情景がリアルな景色としてよみがえるお話は次回の日記でお伝えします。。

今回のAR日記はここまで。

また、次回をお楽しみに。。。

 

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