2021年12月
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2021年12月03日冬に備えて・・・
利尻礼文サロベツ国立公園 福井翔太
本格的に雪が降る日が続くのではないかと、日々、身構えているサロベツ地区アクティブレンジャーの福井です。
雪が降る前にサロベツで行っている事といえば、国立公園内にある看板の冬囲いです。
看板が風雪で痛まないようにシートで囲い、ロープでしっかり結びます。
パークボランティアの方々の力も借りて、肌寒さを感じながらもひたすらに看板を囲っていきました。
・幌延ビジターセンター 下サロベツ園地木道
・サロベツ湿原センター 円山園地木道
他にも旧原生花園跡地やパンケ沼園地、浜勇知園地にもある看板も冬囲いをしました。
看板の盤面が見えなくなって気持ち寂しくなった様にも感じますが、来年の春までの辛抱です。
幌延ビジターセンターも10月一杯で閉館し、しっかり戸締まりされています。
雪が積もれば一面真っ白な湿原になります。
冬のサロベツにもぜひ足を運び、お楽しみください。
施設の開館情報については下記の通りです。
●幌延ビジターセンター
・閉館(2022年4月30日まで)
・木道利用可能(降雪後、使用不可)
・トイレ利用不可
●サロベツ湿原センター
・開館 10:00から16:00 (月曜日休館)
・木道利用可能
・トイレ利用可能
2021年12月02日礼文島でE-bikeの試乗会!
利尻礼文サロベツ国立公園 津田涼夏
みなさん、こんにちは!礼文島アクティブ・レンジャーの津田です。
10月の下旬、礼文島でE-bikeの試乗会が開催されました。
早速ですが、みなさんE-bikeをご存じですか?
私はこの試乗会があるまで、バイクのような?自転車のような?乗り心地は?スピードは?色々な想像をし、頭の中が膨らんでいました。
E-bikeは簡単に説明するとスポーツタイプの電動アシスト自転車です。
一般の電動アシスト者に比べて、アシスト力が強く坂道もラクラク登れるため、長距離走行にも向いている自転車です。ヨーロッパでは人気があり、大流行しているようです。
今回、礼文島で行われた試乗会ですが、9月に利尻島でも試乗会が行われています。
国立公園の魅力の向上や、島での二次交通の補完を目的として、地域の役場の方、自転車を取り扱っているガイドの方、ホテルの従業員の方等の幅広い年代の方が参加されました。
礼文島内のモデルコースとしては、ショートコース2つ、ロングコース1つをE-bikeで走行しました。
①北部の岬めぐりコース(ショートコース)
久種湖キャンプ場から出発し、スコトン岬、スカイ岬をめぐりました。
②礼文林道コース・桃岩展望台コース(ショートコース)
礼文林道コースは塗装されていなく、凸凹した道を進んで行きます。
桃岩展望台コースまでの道は傾斜があるものの息を切らすことなく走行できました。
※普段、礼文林道コースは自転車等で走行することはできませんのでご注意下さい。
③礼文島を縦断するコース(ロングコース)
香深港を出発し、香深村、香深井村を抜け、一気に船泊スコトン岬を目指しました。約60kmの道のりでした。
また、 「E-bike」と一言で言っても、多くのタイプがあるようです。タイヤが大きいものだったり、女性が乗りやすいタイプだったり、電動アシストのパワーが強いものだったりがあります。私はこちらの3台のE-bikeを試乗しました。
女性が乗りやすいタイプ 電動アシストのパワーが強いタイプ
全ての試乗会が終わった後に、緑色のE-bike(写真左)はタイヤが大きく且つ電動アシストパワーが強く、この日一番乗りやすい機種だったことを伝えられ驚きました。
今回初めてE-bikeを体験し、E-bikeの凄さと礼文島で試乗会を行ったからこそ感じれることがありました。
・軽くこぐだけでも電動アシストのパワーを感じますが特に登り坂(桃岩展望台コースまでの道、江戸屋山道)や、最初の乗り始めの一歩が誰かに背中を押されたような感覚になり、一番電動アシストのパワーを感じることができたこと。
・自分自身が時速何kmで走行しているのかも分かるスピードメーターが付いていて、坂道だと30~40km/hほどのスピードで走行し、風と一体になれたこと。
・60kmの道のりで長時間走行しても息切れしないこと。
・何より、いつも何気なくみている景色なのに、E-bikeで走ることによっていつもと違う景色を見ているような感覚になれたこと。
今回の試乗会は多くの方にご協力をいただきました。
ありがとうございました。
2021年12月01日謎の魚
知床国立公園 高林紗弥香
こんにちは。羅臼自然保護官事務所の高林です。
知床峠を越えて知床半島の東西(南北?)を結ぶ「知床横断道路」(国道334号線)。
11/8より全面通行止めの予定となっていましたが、路面凍結の恐れのため11/7から終日通行止めとなりました。
横断道路が閉じると観光で訪れる方もめっきり少なくなり、静かな知床羅臼ビジターセンターです。
館内をゆっくり眺めたい方は今がオススメ!
雪が積もった羅臼岳をみながら、夏の発見を少し振り返ってみます。
休日、羅臼町内で実施された、ある調査に同行中のことです。
川を覗いていると、なにやら大きな魚影を見つけました。
水中にカメラを入れると・・・いました!いました!※写真内、矢印先。
長さ30~35cmほどあるでしょうか?
撮影した動画から2匹のサケの仲間と思われる魚を確認できました。
この時はちょうどサケやマスの遡上時期。大きなサケ科魚類が河川にいてもおかしくないと思われるかもしれません。
しかし、確認したのは魚道のない砂防ダムを数基登った場所なのです!
いくつかは「切り崩し」(※1)も施されていますが、地図上では7基のダムが確認できます。
この魚は一体、どこから来た何者なのか・・・?
知床羅臼ビジターセンターの魚博士に動画を見せたところ、おそらく「サクラマス」ではないかとのこと。
それにしても何故この河川にいるのか謎は深まるばかりです。放流されてしまったのか?陸封型(※2)がいるのか?ダムを越えて遡上したのか?はたまた、魚たちの桃源郷があるのか・・・。
知床の河川、魚に関する論文等も探して読みましたが、この河川で、過去に実施された調査で確認されているのはオショロコマのみ。オショロコマのみ沢山いるのも知床の凄いことですが・・・
後日、魚博士さんが同じ場所で調査を行ったところ、サクラマスは確認できませんでしたが、サクラマスの産卵床と、さらにダムを越えた上流にてヤマメ(※3)の生息も確認されたそうです。
更に上流は果たしてどうなっているのでしょうか・・・続きは来年以降の調査となるでしょう。
また、魚を研究されている方からもワクワクしてしまうようなコメントをいただきました。
ふと、のぞき込んだ河川でこんな発見に繋がるとは・・・。
歩けば歩くほど、発見と共に疑問が浮かぶ日々。知床の豊かさに魅了されるばかりです!
何年かかかってしまうかもしれませんが、続報が出ましたらお知らせいたします。お楽しみに!!!
※1 ダムの高さを一部下げる作業
※2 陸水に留まり成長する魚
※3 ヤマメとサクラマスは同一の魚種
今回は9月上旬に様似山道調査をした際の様子をお伝えします。
様似山道はえりも町の「猿留山道」(さるるさんどう)と共に、文化庁の国の史跡と歴史の道百選に指定されています。
史跡とは、「文化財保護法」では,「貝塚,古墳,都城跡,城跡,旧宅,その他の遺跡で,我が国にとって歴史上または学術上価値の高いもの」のうち重要なものとされています。
歴史の道百選とは、古くから人,物,情報の交流の舞台となってきた道や水路等は,我が国の文化や歴史を理解する上で極めて重要な意味を持っているため、これらの歴史的・文化的に重要な由緒を有する古道・交通関係遺跡を,その保存と活用を広く国民に呼び掛け,顕彰するために選定されるものです。
様似山道の由来ですが、千島列島を伝って南下を続けるロシアの脅威に備えるため、江戸幕府は1799(寛政11)年に東蝦夷地を幕府直轄領とし、北方警備と道路開削にのりだし、日高山脈の南端のアポイ岳が海にせり出す交通の難所であった様似町冬島から幌満間の山道開削を、中村小市郎と最上徳内にそれぞれ指導させわずか一年足らずで完成させました。
昭和2年に山道下の海岸道路が完成すると山道は自然に廃道となりましたが、30年以上前に地元有志によって山道跡が確認され、現在は延長約7km、行程約4時間のフットパスコースとして親しまれています。(看板より掲載)
【幌満側入り口遠景】 【ピンクテープを目印に沢沿いを進む】
コースはその名のとおり山道で、最初は沢沿いを歩きますが、時期が遅いため水量がほとんどありません。
道中は看板のほか、樹木にピンクテープや赤札などがつけられていますので、それを目印に進みます。広葉樹の森は明るくて雰囲気が良いです。
山道を外れ海側にやや戻ると、日高耶馬溪を見おろす場所に出ます。海に浮かぶ岩は近藤重蔵が李白石と呼んだ鵜の鳥岩です。
【明るい広葉樹の森】 【耶馬溪が見える絶景ポイント】
様似山道の途中には、縄文時代の遺跡である山中遺跡に、原田宿跡があります。原田宿とは、淡路島から新ひだか町に入植を命ぜられた洲本城主の稲田邦植が新ひだか町開拓の礎を築いていますが、その家臣の原田安太郎が明治6年から同18年まで営んでいた旅館です。発掘調査では、旅館で使用された急須・徳利・鉄鍋や寛永通宝・天保通宝などの江戸時代の古銭も出土しています。
【山中遺跡・原田宿跡 看板】 【山中遺跡・原田宿跡】
沢の徒渉が何カ所か出てきますが、斜面のトラバースなど急な場所にはロープが設置されています。
【斜面のトラバース】
冬島のあたりは北海道でも珍しい海成段丘となっており、このかつて海面だったところが隆起して形成された平らで見通しのいい場所は、主に昆布干し場として利用されています。
【昆布干し場】 【コトニよりシャマニを望む】
昆布干し場を過ぎるとコトニ小休所の看板が見え、右折すると様似山道につながります。ここから国道に出ることもできます。
コトニ小休所で、往来の人達は焚火をして暖をとったり、時には仮眠もしたといいます。山道東口(幌満)から来た人は、鬱蒼とした山中を熊や鹿に脅かされながら通ってきて、シャマニ(様似)を望むここでようやく安心し、山道西口(冬島)から来た人は、シャマニもここで見納めかと嘆いたといわれるなど、コトニは悲喜こもごもが多く残された場所だったようです。なお、このすぐ西の東冬島トンネルのあたりは、アイヌ語で「テレケ(跳ねる)ウシ(いつでも)」といい、山道下最大の難所でした。(看板より掲載)
コトニの由来は、様似町史ではアイヌ語で「コトネ(低い)イ(ところ)」と分解し、「低いところの意」としていますが、幕末の探検家・松浦武四郎は「東蝦夷日誌」で「昔、コトといふ胡女ここにて死せしが、その墓より、木芽萌出でしをもって名付けし」と記しています。(看板より掲載)
最後に川沿いを下り国道へ出て終点の冬島に到着です。
【砂防ダムを越え沢沿いに降りる】 【冬島からの入り口は左岸側】
私は、熊野古道の伊勢路・大峰奥掛道・中辺路の踏破と国東半島ロングトレイルをほぼ踏破しており、歴史のある古道が好きなので、北海道最初の官営道路であり、幕末の探検家である松浦武四郎も通った歴史ある道を歩けて感激でした。
・松浦武四郎について
三重県出身で、16歳の江戸への一人旅をきっかけに、諸国をめぐり、名所旧跡を訪ね、日本の百名山にも登ります。28歳には当時まだ人々にあまり知られていない蝦夷地(現在の北海道)へ向かい、約13年間に計6回の調査を行いました。
武四郎は訪れた土地の地名、地形、行程、距離、歴史を調べ、人口、風俗、言い伝えを聞き取りなど、さまざまな調査を行い野帳(フィールドワークのメモ帳)に土地の風土や文化を記録しました。
この記録から多くの出版物を作成しましたが、この時代の本は、版木と呼ばれ木に文字を彫り紙に刷りあげる方法で、手間も費用も多くかかるものでしたが、武四郎は世の人々に蝦夷地のことを知らせるため出版を行いました。
多くの著作は、地図製作の基本資料となり、非常に多くの地名を収録していることから、アイヌ語地名研究の基本文献ともなっています。武四郎の記した東蝦夷日誌には当時の十勝や日高地方のことが多く記されており大変興味深いです。