アクティブ・レンジャー日記 [北海道地区]
四十三山を歩いて①~みんなの思い~
2008年04月02日
洞爺湖
私たちアクティブレンジャーの分室事務所がある洞爺湖ビジターセンターの裏近くに、四十三山(よそみやま)があります。(明治新山ともいいます)なぜ「よそみやま」かというと・・・1910年つまり明治四十三(よそみ)年、夏~秋にかけてマグマが地表を押し上げて隆起する火山活動によって出来た山だからです。それを潜在ドームと呼びます。
この噴火活動で周辺には45個の火口が確認され、約155メートルも隆起しました。すごい自然の力ですね。
その山に私はパトロールでよく入ります。もうすでに45個の火口の半分以上は風雨や浸食によって原型をとどめていません。木々が落葉している冬から春の時期は、その中でもまだいくつか火口だとわかるものがあります。四十三山頂上付近の火口の中で一番大きいのは直径約130m、深さ約45mもあるそうです。いくつかの火口脇を歩いていくと、なんと、まだ1箇所噴気している場所があります。噴気口は約40cm位の大きさでそこからは蒸気がゆらゆらと、時にもくもくと立ち上っています。その蒸気でその噴気口の周りは鮮やかな緑色の苔がじゅうたんのように一面を覆っています。
幻想的な噴気口。緑鮮やかな苔が覆う。
どんな種類の苔でしょう。
2月ごろには雪で山は覆われますが、噴気口周辺は雪が溶けているので地温の高いことが一目でわかります。噴気口の地温は、3月に2回パトロールへ行った際、調べてみたところ1回目が128.6℃、2回目が54.4℃でした。過去の記録によるとほとんどが50℃前後なので、1回目の128.6℃はあやしい数字ですが温度計はちゃんと壊れていないかチェックしているので間違いありません。この謎については、この噴気口の温度を長年記録されている火山の先生に聞いてみようと思っているところです。ちなみに噴気口周辺以外の他の場所での地温は9.3℃~9.7℃でした。
この四十三山は噴火直後は、火山灰や噴石で木々は枯死し、はげ山でした。そして昭和41年~45年にかけて「四十三山自然探勝路」という形で多くの人が歩けるように整備されました。しかし、その後、昭和52年に有珠山が噴火後、立入禁止となりました。その四十三山自然探勝路がまた新たに「四十三山遊歩道」として整備されます。完成予定は6月上旬予定です。まだ一般の方は立入禁止区域ですが、以前整備された前後には、四十三山へ多くの地元住民や観光客の方が足を運ばれたはずです。その方たちの四十三山に対する思いは様々だと思います。そっとしておきたい場所でもありますが、一方でまた多くの人が身近に火山を感じることのできる貴重な場所として復活することと思います。
そんな思いを感じながら歩いた今回の四十三山パトロールでは、噴気口周辺一面にフキノトウがたくさんの芽をだしていました。北海道では身近にあるフキノトウのようですが、本州から来た私にとってはきれいな黄緑色をした芽があちこちに出ているのを見て感動したのでした。
あちらこちらからフキノトウが顔を出し、春の訪れを告げる。
今まで何度か四十三山で鳴き声を聞いたことがあったエゾライチョウが近くに現れ、重たい体を低くして飛んで行ったのを目にしました。こんな自然豊かな有珠山は30年~50年周期で噴火活動が起きると言われています。また地形がどのように変化するかわかりません。地形の変化は大きく、時代時代の火山の地形や自然の記録がとても貴重です。これからも四十三山へはいつも行けるように長靴と、片手に温度計、首からカメラを持って、噴気口の地温の記録を取り続け、みなさんに情報発信していきます。つづく・・・次回をお楽しみに。
この噴火活動で周辺には45個の火口が確認され、約155メートルも隆起しました。すごい自然の力ですね。
その山に私はパトロールでよく入ります。もうすでに45個の火口の半分以上は風雨や浸食によって原型をとどめていません。木々が落葉している冬から春の時期は、その中でもまだいくつか火口だとわかるものがあります。四十三山頂上付近の火口の中で一番大きいのは直径約130m、深さ約45mもあるそうです。いくつかの火口脇を歩いていくと、なんと、まだ1箇所噴気している場所があります。噴気口は約40cm位の大きさでそこからは蒸気がゆらゆらと、時にもくもくと立ち上っています。その蒸気でその噴気口の周りは鮮やかな緑色の苔がじゅうたんのように一面を覆っています。
幻想的な噴気口。緑鮮やかな苔が覆う。
どんな種類の苔でしょう。
2月ごろには雪で山は覆われますが、噴気口周辺は雪が溶けているので地温の高いことが一目でわかります。噴気口の地温は、3月に2回パトロールへ行った際、調べてみたところ1回目が128.6℃、2回目が54.4℃でした。過去の記録によるとほとんどが50℃前後なので、1回目の128.6℃はあやしい数字ですが温度計はちゃんと壊れていないかチェックしているので間違いありません。この謎については、この噴気口の温度を長年記録されている火山の先生に聞いてみようと思っているところです。ちなみに噴気口周辺以外の他の場所での地温は9.3℃~9.7℃でした。
この四十三山は噴火直後は、火山灰や噴石で木々は枯死し、はげ山でした。そして昭和41年~45年にかけて「四十三山自然探勝路」という形で多くの人が歩けるように整備されました。しかし、その後、昭和52年に有珠山が噴火後、立入禁止となりました。その四十三山自然探勝路がまた新たに「四十三山遊歩道」として整備されます。完成予定は6月上旬予定です。まだ一般の方は立入禁止区域ですが、以前整備された前後には、四十三山へ多くの地元住民や観光客の方が足を運ばれたはずです。その方たちの四十三山に対する思いは様々だと思います。そっとしておきたい場所でもありますが、一方でまた多くの人が身近に火山を感じることのできる貴重な場所として復活することと思います。
そんな思いを感じながら歩いた今回の四十三山パトロールでは、噴気口周辺一面にフキノトウがたくさんの芽をだしていました。北海道では身近にあるフキノトウのようですが、本州から来た私にとってはきれいな黄緑色をした芽があちこちに出ているのを見て感動したのでした。
あちらこちらからフキノトウが顔を出し、春の訪れを告げる。
今まで何度か四十三山で鳴き声を聞いたことがあったエゾライチョウが近くに現れ、重たい体を低くして飛んで行ったのを目にしました。こんな自然豊かな有珠山は30年~50年周期で噴火活動が起きると言われています。また地形がどのように変化するかわかりません。地形の変化は大きく、時代時代の火山の地形や自然の記録がとても貴重です。これからも四十三山へはいつも行けるように長靴と、片手に温度計、首からカメラを持って、噴気口の地温の記録を取り続け、みなさんに情報発信していきます。つづく・・・次回をお楽しみに。