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北海道地方環境事務所

アクティブ・レンジャー日記 [北海道地区]

「洞爺湖から見る羊蹄山」 ~洞爺湖畔巡視~

2008年04月08日
洞爺湖
私たち洞爺湖自然保護官事務所では、

① 羊蹄山
② 洞爺湖周辺
③ 北湯沢温泉~オロフレ山~登別温泉
この3地区を飛び地で管理しています。
管内を巡視し、国立公園が適正に利用されていうかどうか、危険箇所はないかをチェックしたり、また、管内の自然情報の収集や、利用状況及び美しい景観を写真に収めることも大切な業務のひとつです。

巡視に出た際に撮影した写真の中から、今回は洞爺湖の象徴、「中島と羊蹄山」をピックアップしてみました。



◇写真①:洞爺湖の象徴、中島と羊蹄山。洞爺湖ブルーと呼ばれる湖水と空の青に、雪をいだいた羊蹄山頂の白がなんとも言えません。



◇写真②:中島から顔を出した羊蹄山。洞爺湖畔をぐるっと一周すると、様々な中島&羊蹄山のコンビネーションに出会えます。



◇写真③:中島の東側に移動した羊蹄山。綺麗です。癒されます。

この景色を眺めていたら、ふと思ったので調べてみました。いつの時代からこの景色が見られるようになったんだろう…。大昔の人類も「綺麗だなぁ」と湖畔でボーっとしたりしていたのでしょうか。

○巨大火砕流の発生(11万年前)
今からおよそ11万年前、と言われてもどれくらい昔なのかイメージしにくいですが、時代区分で言うと旧石器時代、ネアンデルタール人(学校で習いましたよね)の時代辺りです。石斧を持ってマンモスを追っている時代です。ものすごく昔のコトのように感じますが、地球46億年の歴史から見ると、つい最近の出来事なんですよね…。とにかくそのくらいの時代に、今の洞爺湖があるあたりで激しい火山活動があり、巨大な火砕流が発生しました。火砕流は噴火湾(太平洋です。伊達、室蘭側)ばかりか日本海(岩内、寿都、島牧側)にまで達し、火山灰は遠く本州中部まで降り積もりました(想像できないくらいの大噴火です。札幌辺りにも火砕流が接近したのでしょうか?ネアンデルタール人たちにも相当な被害が出たのでしょう)。

○洞爺湖の誕生(11万年前~5万年前)
巨大噴火で周辺は火砕流で埋めつくされ、全域が平坦な台地となりました。このときできたカルデラ(火山噴火のあとにできたくぼみ)に水がたまり、洞爺湖の原型ができました。

○中島の出現(5~4万年前)
5~4万年前、ネアンデルタール人に替わり現代型人類ホモ・サピエンス(たしか僕らはクロマニヨン人と習った。分類ではサル目ヒト科ヒト属。ニホンザルという種類のサルがいるのと同じように、ヒトという種類のサルがいるだけのことだそうです。精密な道具と言語を使用。かなり進化しましたね)が台頭してきた頃、洞爺カルデラの真ん中で火山活動が盛んになりました。粘り気の強いマグマが繰り返し噴出し、いくつもの溶岩ドームをつくりました。これが現在の中島です。ちなみに有珠山は中島誕生後、2~1万年前に噴火を繰り返しながらしだいに成長し、羊蹄山のような成層火山(綺麗な富士山型)となりました(その後の噴火で山が崩れ、現在のような形に)。

○羊蹄山の誕生(10万年前~6千年前)
羊蹄山はおよそ10~5万年前に活動を開始し、その後三期に渡り複雑な噴火を繰り返し、6千年前の噴火を最後に現在のような姿になりました。ここ数千年に噴火した証拠はなく、現在は活動休止期にあると考えられますが、将来的には活動再開することは間違いないと言われています。山頂のお鉢の大きさから推測すると、こちらも相当大きな噴火だったのでは?と思います。

※参照:北海道の活火山(北海道新聞社)、地球大図鑑(ネコ・パブリッシング)、ちきゅううかんきょう(フレーベル館)、洞爺湖ビジターセンター解説パネル


なんだか理科と社会がごちゃ混ぜのような話になりましたが、まとめると、約1万年前のクロマニヨン人の時代には、洞爺湖、中島、羊蹄山が今に近い形で存在していたという話です。そんなコトを考えながら改めて眺めてみると、ひと味違った中島や羊蹄山が見えてくるかも知れません。地球ってすごい。

何十年、何百年、何千年先も、今と変わらず美しい中島と羊蹄山を眺められる地球でありますように。