アクティブ・レンジャー日記 [北海道地区]
四十三山を歩いて②~長距離自然歩道四十三山コース開通~
2008年07月01日
洞爺湖
サミットが近づいてきました。そんな中、6月15日、約30年ぶりに四十三山(よそみやま)に一般の方が歩くことの出来る歩道が開通しました。元々は、昭和42年に北海道胆振支庁が自然探勝路として、明治43年に噴火した火口跡を巡る道を整備しました。それ以前から火口は見ることができましたが、最初の歩道が整備されたのはその頃です。しかし、昭和52年の有珠山噴火により被害を受け一般の方は立ち入ることができず、ずっと今日まで四十三山は人の目に触れることはありませんでした。
四十三山の今は、火口跡の周りは木々が生い茂り、今なお、噴気現象が見られ噴火当時の名残をわずかにとどめています。火口跡は植生豊かに回復していますが、土壌は風雨にさらされて浸食され、噴火口の深さも当時より浅くなってきているものも多くあります。
有珠山噴火から4年後、昭和56年の虻田町(現在の洞爺湖町)の広報誌では、温泉街在住の町民が「大自然と触れ合う観光地づくりを」と題して“有珠山噴火の後遺症が大きく、昔の活気を取り戻すのに町民がつらい現状におかれているけれど、有珠山の地質学、火山学、生物学などの絶好の生きた教室としてまた復活してほしい、そして四十三山には山百合の群生がありそこに多くの観光客に見てもらい感動させてあげたい、こうした大自然を町ぐるみでもう一度考えてみたらどうだろうか”と投稿しています。
そういった変わらぬ地域の思いもあって、四十三山は、洞爺湖サミット目前で開通されました。今は植生も変化したため、山百合は見ることはできませんが、ホオノキやハリギリ、シラカンバ、カツラなどが太陽にそそがれ、幼木もすくすくと育っています。そして色々な小鳥が短い夏を満喫中です。
2000年噴火の火口跡を巡る西山山麓散策路(1.6km)もありますので、1910年噴火活動によって出来た四十三山とぜひ見比べて歩いて見てください。植物の移り変わりが一度に見ることができる貴重な場所です。どちらも洞爺湖ビジターセンターから車で5分程です。四十三山歩道は約3kmのアップダウンのあるコースで、履き慣れたしっかりとした靴で歩かれることをおすすめします。
開通式典ゲート割り → 6月15日開通式典の学習会には約40名が参加されました。四十三山コースの入口で、加藤AR手作りの木で出来たゲート割りを行いました。
参加者の登山の様子 → 火口跡を左右にみながら歩きます。
展望台 → 四十三山(251.5m)には展望台があります。洞爺湖を眺めるには、早春や秋がおすすめです。
四十三山の今は、火口跡の周りは木々が生い茂り、今なお、噴気現象が見られ噴火当時の名残をわずかにとどめています。火口跡は植生豊かに回復していますが、土壌は風雨にさらされて浸食され、噴火口の深さも当時より浅くなってきているものも多くあります。
有珠山噴火から4年後、昭和56年の虻田町(現在の洞爺湖町)の広報誌では、温泉街在住の町民が「大自然と触れ合う観光地づくりを」と題して“有珠山噴火の後遺症が大きく、昔の活気を取り戻すのに町民がつらい現状におかれているけれど、有珠山の地質学、火山学、生物学などの絶好の生きた教室としてまた復活してほしい、そして四十三山には山百合の群生がありそこに多くの観光客に見てもらい感動させてあげたい、こうした大自然を町ぐるみでもう一度考えてみたらどうだろうか”と投稿しています。
そういった変わらぬ地域の思いもあって、四十三山は、洞爺湖サミット目前で開通されました。今は植生も変化したため、山百合は見ることはできませんが、ホオノキやハリギリ、シラカンバ、カツラなどが太陽にそそがれ、幼木もすくすくと育っています。そして色々な小鳥が短い夏を満喫中です。
2000年噴火の火口跡を巡る西山山麓散策路(1.6km)もありますので、1910年噴火活動によって出来た四十三山とぜひ見比べて歩いて見てください。植物の移り変わりが一度に見ることができる貴重な場所です。どちらも洞爺湖ビジターセンターから車で5分程です。四十三山歩道は約3kmのアップダウンのあるコースで、履き慣れたしっかりとした靴で歩かれることをおすすめします。
開通式典ゲート割り → 6月15日開通式典の学習会には約40名が参加されました。四十三山コースの入口で、加藤AR手作りの木で出来たゲート割りを行いました。
参加者の登山の様子 → 火口跡を左右にみながら歩きます。
展望台 → 四十三山(251.5m)には展望台があります。洞爺湖を眺めるには、早春や秋がおすすめです。