北海道のアイコン

北海道地方環境事務所

アクティブ・レンジャー日記 [北海道地区]

蝲蛄

2009年06月23日
上士幌
 183年ほど昔の1826年2月23日、シーボルトが長崎から江戸へ参府の途中の下関で蝦夷地産のザリガニの標本を手に入れました。当時、このザリガニの胃石が高価な漢方薬として売買されていたんですね。1841年にハーンによりCambaroides Japonicusと命名され世界に発表されたわけですが、これがニホンザリガニが世界に知られる初めであったのです。
 このニホンザリガニは北海道の他に青森岩手秋田の北東北3県にわずかに生息しているのですが、道教育大の矢沢洋一名誉教授によるとこれはもともと、漠方薬用に東北の藩によって蝦夷地から輸人・移植されたものであるそうです。それが事実とすれば二ホンザリガニは北海道固有種といえるわけです。
 
 さて、タイトルをみて何だ?と思った方も多いはず。
ここまでくれば読みは「ザリガニ」と勘の良い方はお察しのはず。

 今から94年前の1915年、大正天皇の即位式の式典の一つ「御大典」において大饗二日目に蝲蛄濁羹という料理が供されているのです。
蝲蛄濁羹とはおそらくザリガニのポタージュとのこと。
 大正時代には何度も北海道から当時の宮内省向けにザリガニが運ばれている記録があるのですが、研究者によれば大正以前から天皇家にとってザリガニが食材として用いられてきたというのです。産地は支笏湖。一度に4000匹運んだという記録も残っていて今から考えると驚きの数字です。それだけザリガニの生育環境が良かったということなんでしょう。

 そして1926年、北米コロンビア川原産のSignal crayfishが当時の農林省水産局により優良水族として移植されたのです。
 いまや北海道の有名湖沼の多くに生息が広がってしまったのです。

 然別湖です。 


水の中です。


 かつては土産屋で売るほど二ホンザリガニが生息していました。
 それがいまでは然別湖原産は絶滅したともいわれます。
 替わって幅をきかせているのがこいつです。

 英名:Signal crayfish 日本名:ウチダザリガニ


 画像下に爪がえぐられたウチダザリガニが見えますが上の大きい個体にやられたのです。非常に力が強い。難敵です。春の防除作戦スタートです。
                               つづく

※日本に生息するザリガニ
・ウチダザリガニ:北海道へは1930年に摩周湖に導入され、その後、道内各地に持ち出されたと考えられている。近年になり、在来種であるニホンザリガニに対する捕食(直接的被害)やザリガニペストの感染による致死(間接的被害)の危険性が非常に高いことから、2006年2月、外来生物法に基づく特定外来生物に指定され、新たな放流や生きた個体の運搬などが規制。秋に交尾した後産卵し、翌年の初夏に卵が孵化するまで母親が抱卵する。卵数は数百(最大抱卵数500を超える雌が確認された)。全長は10センチを超え日本に生息するザリガニ類ではもっとも大型。

・アメリカザリガニ:道内では音更町、羽幌町、東川町・白老町。その他にも函館付近における生息の情報がある。約80年前に食用カエルの餌として全国に導入された。全長約8センチ。道内の生息環境は温泉水の排水域。雑食性で生後2年で成熟。抱卵数は個体の大きさにより、600前後の卵を産む雌もいる。

・二ホンザリガニ:環境省レッドデータブック(RDB)で絶滅危惧II類(危急種)に指定されている日本固有のザリガニ。広葉樹林帯を流れる冷たい小河川や湧き水に生息する。落ち葉を主食とし、成熟まで5~6年を要する。抱卵数は30~80と、ザリガニ3種のうち最も少ない。

ザ・リガニーズ:1967年夏、早稲田大学フォークソングクラブのメンバー5人が結成。デビュー曲「海は恋してる」は10万枚を超えるヒットとなった。