北海道のアイコン

北海道地方環境事務所

アクティブ・レンジャー日記 [北海道地区]

私は渡り鳥

2011年03月29日
稚内
 北海道にやって来たのは6年前のことです。私は京都での生活を終えたばかりの23歳、伊丹空港から新千歳空港へ向かう飛行機に乗り込んでいました。
滑走路を走る機体が徐々に加速し、飛行機がフワッと離陸した瞬間に、まだ何が待っているのか分からない、これから始まる北海道での生活へ出発することを感じ、とてもワクワクしたことを覚えています。
不安も迷いも全くなくて、いくらでも自分の未来を描き込める真っ青で真新しい空が広がっているような気がしました。

 あれから、6年経って、私は大好きな北海道を離れようとしています。6年の間、いろいろなところを旅して、様々な人と知り会うことができました。
憧れ続けた北海道大学でミズナラ上の昆虫群集について研究できたこと、けれど苫小牧研究林での研究生活がとても辛く研究の大変さを思い知ったこと、就職に悩み札幌で半年間過ごしたこと、エゾシカ管理対策の補助の仕事で釧路に住み、エゾシカ問題の深刻さを目の当たりにしたこと、利尻礼文サロベツ国立公園のアクティブ・レンジャーとして稚内に赴任し、サロベツを中心に自然環境保全に関わる様々な現場に関われたこと、そしてその間に出会った多くの人たちのこと、全てかけがえのない糧となって私の中に蓄積されています。

 縁があって、利尻礼文サロベツ国立公園のアクティブ・レンジャーとして過ごした3年間、職場では、膨大な量の仕事に向き合うレンジャーや、気づいたらすぐに行動する先輩アクティブ・レンジャーと働くことを通して、自分の考え方や行動を見つめて良くしていくことができました。
パークボランティアや地元NPOを始めとする地域の皆さんには、とても親切にしていただき、ここはまた帰ってきたい場所になりました。宗谷の動植物の魅力を沢山教えていただきましたし、栄養たっぷりの美味しいご飯をご馳走になったことが何回もありました。
ここで関わった多くの人たちに、優しい言葉をかけていただいたり、渇をいれていただいたりしながら、一緒に仕事や活動をできたことを本当に嬉しく思っています。



サロベツ海岸線から望む利尻山。いつも見守られているようでした。


 そして、私は地域に根付いて生きる人たちの強さを教えられました。そこに住む人たち自身が地域を愛し、より良くしていこう、守っていこうとすることがいかに大切であるかということを。
私はいずれどこかに去ってしまう人間のひとりであり、利尻礼文サロベツでどんな大変なことが起きようとずっとそれと付き合うことはない一番気楽な立場の人間だったと今更ながら思うのです。
けれど、ここにはずっと地域を見守り続け、これからも活動を続けていく人たちがいることでしょう。その活動の営みこそが利尻礼文サロベツを美しく保つ土台を創っているのだと感じています。



広い広いサロベツの空が大好きでした。


 春からは、サロベツで出会った伴侶とともに宍道湖がある島根県松江市に住みます。気がつくと私はラムサール条約登録湿地がある場所を渡っており、何かの縁を感じています(苫小牧:ウトナイ湖、釧路:釧路湿原、稚内:サロベツ湿原、松江:宍道湖)。
向こうでもラムサール活動が盛んなようです。松江には長く住むことになりそうなので、こちらでの経験を活かし、何らかのかたちで活動に加わりたいと思っています。利尻礼文サロベツで出会った人たちに負けないくらい自分の住む地域を好きになって大切にしていきたいと思います。

 そして、私は渡り鳥のようになりたいと思っています。
鳥インフルエンザのような悪いものを持って帰られては困りますが、利尻礼文サロベツを一度いなくなっても毎年戻って来てここに住む人たちを楽しませる渡り鳥のように、去っていくのではなく渡っていく私だからこそ、渡りの先から運べるものをいつか持って帰り、縁をつないでいきたいと思っています。

 29歳の春、渡り鳥が一羽、たくさんの想いを胸に旅立ちます。20代の私を育ててくれた北海道、そして愛すべき利尻礼文サロベツへ、そこで出会った全ての皆さまへ、本当に本当にありがとうございました!



坂の下の海岸砂丘帯にて。皆さん、本当にお世話になりました!