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北海道地方環境事務所

アクティブ・レンジャー日記 [北海道地区]

小函小史①

2023年11月24日
上川 村岡龍岳
こんにちは。大雪山国立公園管理事務所の村岡です。
 
先日、層雲峡観光協会が主催する地域活性化フィールドワークに参加しました。このフィールドワークでは、地元の関係者と協力して、大函や現在は立ち入りが禁止されている小函などを現地で確認し、層雲峡が持つ自然や観光の潜在的価値を探りました。
【大函】
【小函】
大雪山国立公園は来年で指定90周年を迎えます。この節目を機に、現在地元では層雲峡地区の再活性化のため、小函の活用を検討しています。
 
過去に落石事故があったため、現在は立ち入りが禁止されている小函。
そのため、普段は目にすることができません。
初めて小函を目にしましたが、その柱状節理の大きさに圧倒されました。そのスケールの雄大さからは歴史を感じます。また同時に、道路に散らばる大きな落石は、この場所が現在も変化し続けていることを物語っているように思えます。永い歳月を経て現在の形となり、その景色が今も変わりつつある様子からは、時間の流れを強く意識させられました。
この景観を安全に楽しむことの難しさも痛感しましたが、自然の美しさと厳しさが交錯するこの場所を、何らかの持続可能な形で利用できるようになればと思います。
 
【道路に散らばる大きな落石】
さて、小函と大函を実際に目の前で比較したときに、ひとつの疑問が浮かびます。
「小函の方が大きいにも拘わらず、なぜ現在の名称がついたのか?」
小函は層雲峡地区で最大級の柱状節理です。
見たところ大函よりも小函の方が高く、大きく感じます。両者の名前が逆になる方が適しているように思えます。
この疑問を解消するべく、現在の地名がどのようにつけられたのか、その歴史を調べてみました。
 
現在の大函及び小函の由来については、1872年の開拓使高畑利宣による踏査記録にその手がかりを見出すことができます。
 
1872年6月 高畑利宜の踏査記録(一部)
…忠別太より石狩川を上り温泉の湧出する処を過ぎて、其の奥に至りしに右方の山上から二条の大瀑布がドウ〱と凄まじく響いて落ちてゐる。其の高さを約五百尺と推測し仮りに命名して夫婦滝と云った。
尚上流に遡るに川幅二、三間となり両崖高さ五・六十尺の巌壁峭立して長さ凡百間に連り、前に見たる滝と共に天下の奇観である。
よって此処を仮りに函川と名づけた[1]
 
(現代語抄訳)
忠別太(現在の旭川)より石狩川を上り、温泉が湧く場所(現在の層雲峡)を過ぎ、その奥に行くと向かって右側の山から二つの大きな滝が音を立てて落ちている。その高さは約500尺(約152メートル)と推測され、仮に「夫婦滝」と命名する。
さらに上流に進むと、川幅が2、3間(約3.6~5.4メートル)になり、両岸の高さが5~60尺(約15~18メートル)、長さ百間(180m)の岩壁が連なり、前述の滝と共に天下の奇観である。この場所を仮に「函川」と名づけた。
 
 
安政期に行われた松浦武四郎の踏査など、これより以前にも上川周辺を踏査した記録はありますが、周辺の地名に「函」という字が出てくるのは高畑の記録が初めてと思われます。
高畑が踏査した際には、一帯の川や岩にはまだ名称がついていなかったことが窺え、例えば上述の「夫婦滝」は現在の銀河・流星の滝を指しています。
「岩壁」がどこを指しているのかは判然としませんが、夫婦滝(銀河・流星の滝)の上流に位置していることから、現在の大函・小函と推察されます。
 
大函・小函の名称は高畑が命名した「函川」に由来していそうですが、高畑の記述には大函及び小函という言葉はありません。
また、「函川」という呼称も今日耳にしません。
依然として現在の名称に関する疑問は残ります。
 
大雪山周辺にはアイヌ語由来の地名も多くありますが、大函・小函に関してはアイヌ語由来でもないようです。
引き続き、大函・小函の地名を探っていきます。
 
[1] 河野,「大雪山及石狩川上流探検開発史」, 『大雪山のあゆみ』. 1965; p.23.

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